みなさんは、モノやサービスといった商品のどの部分にお金が払われているのかを考えてみた事はありますか?
モノを扱う場合は、一見シンプルです。モノ自体に原価が設定されているから、それ自体の値段がついていると考えればわかりやすいですよね。 そして、一体何に対してお金が払われているのかわかりにくいのが、コンサルタントやデザイナーといった専門的なサービス業や情報商材を扱う場合などでしょう。
そんな職業を経験された方には、少なからず「ちゃちゃっとやっちゃってよ」だとか「コピーするだけじゃん」と頼まれていた方も多いのではないでしょうか。 あるいは、ついつい頼んじゃったという方もいらっしゃるかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/goto-ahiru/20140613/1402637270 – 「無償で当然」という思想
天王寺区のデザイナー無償募集の件は、少し話題になったのでご存知の方もいらっしゃると思います。 これはさすがに、「つい頼んじゃった」ですまされるようなレベルではありませんね。
エントリーにも書いてあるように、「手に職系」の人たちは「技術」をお金にかえて生活しています。 その技術は、ちょっとやそっとの努力では身に付かないもので、才能の場合もあれば、努力の結果の場合もあります。 いずれにせよ、それまでに費やした技術向上・知識獲得のための時間をお金に換えているわけです。
そういったことを意識しているなら、きっとタダで仕事を頼むなんてことはしませんよね。 タダで仕事を頼む、ということは、その仕事に価値がないのだ、と言っているようなものですから。
そして、この話を拡大すると、(当たり前ですが)モノを売る仕事にもこのことは当てはまります。
例えば小売業について。 理想的に言えば、自社の利益を最大化しながら、良い商品をより安く消費者に届け続ける工夫が必要ですよね。 仕入れ値を安くするために多くの取引先を訪れ、交渉し、商品の知識をつけ、 ときには新商品のチェックのため違う場所に足を運び、最近の売れ筋をチェックし、 業界や商品の質問にも答えられるようにして、よりわかりやすい説明をめざして、 さらにお客さんによって話し方を変えていくなど…。
そうです。私たちモノしか見えませんが、私たちが買うモノの後ろ側には、とんでもない努力が山のように隠されているんです。 小売業においても、まさに血のにじむような努力をお金に換えて生活している構図は変わりませんね。
近年、ウソのように安い商品が登場したり、無料で手に入るものが増えてきています。 そうした環境に生活して、しかもなお所得の水準が下がっているためか、 私たちの「モノ」や「サービス」の価値に対する感覚が現場での価値の感覚と大きくずれているような気がしてなりません。
よく言われるのが、無料のネットゲームですよね。 情報に対する価値の感覚は近年ずいぶんと改善されてきたように思いますが、 いまだに「無料じゃないのかよ!」なんてぼやきを聞く事があります。 しかし、一度でも働いたことのある人はそんな事口にできないでしょう。 タダで手に入れようとしているのが、ゲームをつくった人たちの知識や工夫、作業の集大成なのですから。 (「無料」を利用したマーケティングを否定しているわけではありません。目の前にあるモノやサービスの裏に、 どのような努力が隠れているのか意識していくことを、消費者として心がけるべきだ、ということです。)
どのような業態においても、必ずなにがしかの価値は存在します。 そこには必ずしも「時間」や「モノ自体の価値」だけでははかれない部分があります。 たいていの場合は、経験や努力によって得た知識、つまりその人のいのちそのものが、商品の価値に反映されているのです。 職業の専門性そのものの価値観が高まれば、過度な値引きの要求や、無償での依頼だなんてこともなくなるかもしれませんね。
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