みなさん、こんにちは。 今日は「自立」と「依存」に関してとても感銘を受けた記事があったので、働くことを交えつつ、その記事を読んで思ったことを書きたいと思います。
みなさんは「自立」というとどのようなイメージを抱くでしょうか。
ある人にとっては、親に頼らずに自分の力で生活していくことであり、またある人にとっては、起業して社会の荒波を渡っていくことであり、さらにある人にとっては、自分のアイデアと体力だけで無人島でサバイバルできることであり…
答えは人によってそれぞれ違うとは思いますが、それでは「依存」という言葉のイメージはどうでしょうか。
おそらくは「自立」と「依存」が相反する関係にあるのだと感じている人もいらっしゃるかもしれません。
昔からそうなのかもしれませんが、若い世代も例外なく生まれた瞬間から周囲の期待を、ある程度成長すると自分からの期待をも背負って生きていきます。
周囲の人たちは私たちに「はやく一人前になってほしい」と期待し、また自分自身はそれに応えたり、自分を高めるために「もっと自分の力でできるはずだ」と自分自身を追い込もうとします。
もちろん自主性や主体性は大事なことですが、「自立する」ことへの期待が空回りしてしんどくなってしまうことも少なくないと思います。
そのようなことを見聞きしたとき、僕はあるときに読んだ熊谷晋一郎氏のインタビューを思い出さずにはいられません。
熊谷氏は新生児仮死の後遺症により脳性まひの障がいをもち、小さいころから厳しいリハビリを受けて育ちました。しかし成長とともにリハビリをやめて、より自分らしい生き方を模索し、東京大学の医学部へ進学、病院勤務を経て現在は東京大学先端科学技術研究センター特任講師としてご活躍されています。
熊谷氏は、自立と依存について以下のように語ります。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
これは社会に生きる人間すべてに当てはまることだと思います。
当団体のテーマでもある「働く」ということから考えてみても、私たちは決して一人や一つの会社だけの力で目的を達成しているわけではありません。上司、部下、取引先、お客さんといった人たちに依存しています。
生きていく上で必要なものも、ほとんどは誰かが働くことによって生み出されているので、やはり私たちはおたがいに依存先であるということになります。
自立できていない働き方とは、この場合どういうことなのでしょうか。
○○さんがいないとこの仕事ができない、とか□□の作業についてなんにもわからなくて困っているみたいなことって、会社ではよくあることかと思います。
自分でなんとかしようと頑張ることは大切ですが、結局なんとも何ともならずに一人で困り果ててしまってはいけませんよね。
たとえばある程度考えた上で誰かに教えを請うて、その上でやり遂げられたのならば、それは立派に自立して成果をあげたということになります。つまり、自立とは依存先を獲得するスキルにかかっているといえます。
どんどん依存して、自分の選択肢をひろげた先に本当の自立がある。「依存」という言葉のイメージにとらわれず、自立のために依存先を増やしていきましょう!
もちろん、自分でできることは自分でするに越したことはないので、依存しすぎにも注意は必要だと思いますが…(^_^;)
※今回ご紹介した東京都人権啓発センターさまの記事へのリンクに関して、これはぜひ皆さんに読んでいただきたいという思いと、引用元の明記のために記事ページのみへのリンクをさせていただいております。当コラム執筆時において、当団体は東京都人権啓発センターさまといかなる関係にもございません。
文責:岸
Categories: コラム
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です
コメント
名前 *
メール *
サイト
新しいコメントをメールで通知
新しい投稿をメールで受け取る
コメントを残す